大崎正治(國學院大学)
1.まえがき
フィリピンをはじめ開発途上国に高い関心をもっておられる人やNGOなら避けて通れない問題は、せっかく与えた援助が実際に効果を奏しているかどうか、であろう。
フィリピンでは1960-80年代半ばまで、マルコス大統領が日本の政府・財界の支援を大量にもらって、そのリベートで世界ベストテンの巨富を積み上げたことはよく知られている。マルコスの国外逃亡以来、フィリピンはそれなりに発展をとげてきたが、そのなかであの国のNGOまでマルコスを踏襲したのか、援助を受けた事業の何割かを自分のポケットに入れたり、初めから事業の必要経費として自己の生活資金を計上することは、政府系・反政府系を問わず、あちらのNGOの慣例になっているようだ。いわば、フィリピンは今なお被援助大国、いな援助汚職大国と言われてもおかしくない。
けれども、その事業のもとで現地の民衆がどこまで実益を得てきたか、民衆自身が問いかけることはまれである。しかし最近、敢然とこの問いかけをした村がある。まだ経過中なので、その村の実名を伏せておきたい。
2.M村草の根グループの汚職追及
一昨年から、M村の草の根有志の間で村長の汚職追及運動が展開されている。この汚職はDENR(国家環境資源省)とCHARMP(コーディレラ全域のNGO)のプロジェクトとしてM村の山々に植林する計画から起こった。村長が村内に植林事業のNGOを立ち上げて受け皿にしつつ村長自ら工事請負人になって、約500万ペソ台の高額の支払いを受けた。だが、実際にはほとんどが村長の私宅の建築と、DENRとCHARMPの職員の賄賂に費やされた。
これを有志のグループ(10人ほど)が追及を始めて、まずB町(Municipality)のレベルの準法廷(Sangguiniang Bayan、日本には存在しない機構)に提訴したが、半年以上をかけた審理の末に、昨年7月「却下」の判決が下りてしまった。この判決の前、バギオから何回もジャーナリストがこの汚職事件の調査にボントクまで来たが、一つの地方新聞を除いて、すべて村長によって買収され、記事にしなかったという。
3.NGOの腐敗
CHARMPは、政府から大規模な資金を得て、コーディレラ一帯でそれを自らのプロジェクトだけでなく、他の弱小NGOにばらまくこともしてきた巨大NGO組織である。現地のNGOの一部から、CHARMPはすでにNGOではなく解体されておおかたの職員は別の職業についているとか言われているが、少なくともM州ではその職員はまだ機能しているようだ。だから、M村の植林計画を進めてきたCHARMPとたたかっているM村の草の根グループを応援することなど、バギオの多くのジャーナリストはもちろん、NGOも怖がってよりつかないようである。
その一例を挙げれば、従来私とごく親しくしてきたバギオのNGOの事務所に紹介して、現地代表に行ってもらったが、このNGOの事務局長から、「M村の汚職事件の話は良く知っているが、自分はジャーナリストらに紹介できない」と断られてしまった。そのあと、マニラ首都圏の有力な教授の紹介を受けて、バギオの一つの大学研究所にも行ったが、はかばかしい結果を得られなかった。
4.運動の前進、それでもまだ試練が・・・
それはともかく、M村の草の根グループはそれにめげず運動を展開しつづけ、ついに昨秋、A州や地元のB町にあるほかのNGOの手で、自主的にM村植林事業の検証調査をやってもらうことに成功した。その評価報告書も最近出されたが、それによると、「この植林事業はなんら計画書どおり実施されず、完全に失敗だった」と評価を下した。それと機を一にして、この事業の出資元であったADB(アジア開発銀行)がついに腰を上げ、11月半ばはるか僻地のM村まで事後検査にやってきた。2-3人でやってきたADB職員は村民の前でDENR職員に質問を浴びせ、彼らの不備を暴露したという。M州やB町の中で長い孤間孤立に耐えてきたM村グループはさだめし溜飲を下げただろうと想像できる。
でも、その後も彼らの試練は続いている。このADB職員は白人ばかりで、かならずしも正式の審査官ではなかったように見える。彼らはM村草の根グループの要請文も、先に紹介したように「この事業は失敗だった」と評価したNGOの自主的報告書も、受け取ることを拒否したあげく帰って行った。その後、ADBは、問題のDENR・CHARMPと、「植林計画失敗」と評価を下したNGOとの、呉越同舟の合同調査を再開するよう指示してきた。これは、ADBの面子を保ちつつ、M村の草の根グループを支持したNGOを巻き返して自己の側に取り込み、先の評価報告書を無効にして、DENRとCHARMPを救う策略ではないかとも思われ、現地草の根グループも気味悪がっていた。
果たして、昨年末からことし正月にかけてDENRの側はM村に来て、前の公式審査をとりつくろう再審査をやり、その結果の報告書をM村総会にかけるよう村長に指示した。これはM村の住民を取り込んで、草の根グループを孤立させようともくろんだものも受け取れた。けれども、友人からの最新のメールによると、1月末、この村民総会が開かれ、どうしたわけかCHARMPが村長とDENRに不備があったことを認めたために、村の大多数は草の根グループに味方し始めたという。
彼らは秋以来、マニラにあるオンブズマン事務所(1989年に施行されたフィリピン法令による汚職専門の独立した公的審査機関、オンブズマンは大統領に指名される。)に出かけ、村長とDENR職員を汚職罪で提訴する方針を立てていたが、このたびのADB来村と再審査提起の騒ぎで彼らはこの本命のたたかいをしばらく遅らせられていたのである。今後いよいよ本格的に汚職追及し続けると思われる。
5.中間的結論
私はこのM村の事件をいつもフィリピンで起こっている普通の汚職事件として扱うのではなく、れっきとしたNGOやインテリが「貧困」「環境」対策を、その美名の下に汚職の巣にしている状況を、普通の村民たちが自分で判断して追及しているという真の草の根民主主義(共産党やインテリが上から指導するのではなく)の芽生えとして扱いたい。私たちは、彼らを救済することを考える先にまず彼らから学び、それを日本とフィリピンの友人に伝えて、彼らに続いて、途上国・先進国を問わず汚職に漬かり切ったこの世界への挑戦をはじめようと訴えていく手がかりをつかみたいのである。(2006年2月初旬記-イフガオ州大学奨学基金会機関誌『カラングーヤ』2006年3月発行、掲載)
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