持続的開発論はどこに問題があるか ーその失敗のありかを探るー


 大崎 正治

1.失敗した「持続的開発」

 「持続的成長ないし開発」(以下ではひとくくりにして「持続的開発」sustainable developmentと呼ぶことにする)が世界の合言葉になって20年近くになるが、ようやく反省期に入ったようである。思えば、G7やG8の世界先進国首脳会議から末端NGOの会議に至るまで、毎度のように崇高な理想としてそれが称揚されてきた。国、いや世界を挙げて、あらゆる勢力の間でこの同じ目標・政策が掲げられてきたことは、一見誠に結構なことに見える。

 たしかに、現代の世界は物質的には「成長」「開発」を成し遂げた。一人あたりGDPや人の平均寿命は大方の国で延びたし、テレビや交通・通信は極度に発達してきた。けれども、その中で幸福を得たと言い切れる人は、全体の中でごくわずかしかいない。足元の実態を見ると、寒心に耐えない現実が山のように蓄積しているのは周知のごとくである。

 つまり、「持続性」(sustainable)については、どこにも実現した験しはない。どこでも誰でも異句同音に語っているなら、持続性と開発を兼ね備えた「持続的開発」は、とっくにどこかで実現していなければならないはずである。いったいどこに見つけることができるのか。「持続的開発」を何年続ければ「持続性」が確保されるのであろうか。この二つの質問に対して、誰も肯定的に答えられないだろう。

 これほど長きにわたって人類のおおかたが同意しているのに実現できていないとするならば、その合い言葉や政策は宗教的信念ですまないかぎり、壮大な失敗であったと結論してよさそうである。それとも、「持続的開発」は、永遠に実現しないけれども、人々に希望を持たせつつ動員する、いわばウマの鼻先にぶらさげたニンジンに近い手段であったのだろうか。

 本稿では、第一に「持続的開発」の概念がこんなに広がった歴史的背景を調べて、その客観的企図を明らかにすること、第二に、「持続的開発」の概念が本来虚構であったことを意味論的に追求する。結論では、模索すべき社会理論の方向をスケッチしてみたい。


2.持続的開発論登場の背景

 持続的開発論が人口に膾炙するに至ったのは、ソ連や東欧などの社会主義体制が崩壊して(中国でも、政治はともかく事実上資本主義経済が採用された)、アメリカを中心とする汎資本主義的体制が地球に出現したのと期を一つにしているのは明らかである。このアメリカ一極構造のなかで、イデオロギー面で国連やユネスコのヒューマニスティック国際主義の比重が高まった。持続的開発論の歴史を見れば、それは国連諸機関や世界銀行などの場で企てられ練られ、れっきとした国際NGOがそれの普及に与ったことは明らかである(1)。「持続的開発」論の広がりと市場グローバリズム-アメリカの理念・価値観-の世界的な席捲とは機を一にしてきた点に注意を向けるべきである。

 けれども、ソ連などの社会主義体制が健在していて、世界が米ソ二極構造から成っていた時代から成長主義・工業主義が一律に追求されていた点で、資本主義と社会主義はすでに収斂していたのである。現代における「持続的開発」論とグローバリズムとの収斂はその一環にすぎない。しかしながら、NGOの大方はその点に自覚がない。

 成長や発展、開発が体制維持に不可欠になったのは20世紀後半になってからである。まず、「成長」(growth)はがんらい生物学の概念であったが、それを人間とくに子どもにあてはめた教育心理学の用語に導入され、20世紀後半国民経済の管理学となった経済学のコア的役割を担う言葉になった。

 もともとマルクス経済学も資本主義肯定の近代経済学も、「資本主義経済はある程度繁栄すると、いつか定常状態ないし恐慌に至る。つまり循環こそ資本主義の本質だ」とみなしていた。したがって、「成長」はすでに述べた第二次大戦後の東西冷戦状態のもとで展開された両体制間の経済競争のなかで採用された比較的最近の概念なのである。

 他方、「発展」developmentはかつての経済学にとってたんなる用語以上の存在であった。それは経済学自身を含む近代社会科学全体にわたって古くからあった方法論的前提であった。18世紀以来確立した「発展段階説」は近代資本主義が中世封建社会から発展したと自己礼賛するだけでなく、アジア・アフリカ・南米の後進国の植民地支配を擁護する役割を果たした。

 けれども、当時の「発展」概念には経済成長は含まれていなかった。19世紀末のマルクス経済学者が扱った「発展」は、ロシアやポーランドのような当時の後進国が近代化すなわち資本主義化を指していただけで、彼らがかくべつそれを歓迎したわけではない。彼らはこの発展のなかで農民の疲弊にともなって社会的動乱が起こることに注目して期待をかけただけである。近代経済学者シュンペーターの唱えた「発展」も、技術革新や産業構造の変化、企業間の栄枯盛衰にすぎなかった。彼も、経済は長期上昇の後、当然、収束(つまり景気の下降)が起こると見ていた。

 「発展」概念が「経済成長」と統合したのは、ようやくロストウの『経済成長の諸段階』(1960)が登場した高度成長時代以後である。彼は「成長」を達成するため、大量消費、大量生産を礼賛した。

 「持続的開発論」はそれを無批判に引き継いだ点で大きな問題を含んでいるといえよう。その注目すべき一例を挙げておこう。

 それはわが国の「公害対策基本法」の辿った歴史に現れている。高度経済成長とともに激化した公害に対して、政府は1967年「公害対策基本法」を決めた。けれども、その第1条にいわゆる「経済・環境調和条項」―つまり、「生活環境の保全については、経済の健全な発展との調和が図られるようにする」という但し書き―が入っていた。政府は、被害者のみならず国民大多数から轟々たる非難を浴びて、わずか3年後にこの但し書きを撤回した。その後30年経過して、1993年国会は「公害対策基本法」に代わって「環境基本法」を採択したが、その第4条でふたたびあの悪名高い調和条項―正確には「環境保全は、・・健全な経済の発展を図りながら持続的に発展することができる・・・を旨とし、行われなければならない」-が復活したのである。これはまさに「持続的開発論」そのものではないか。その点で持続的開発論の罪は明らかである。

 かくして、「持続的開発論」は実際には「成長」「開発」「発展」をしゃにむに追求する支配勢力の隠れ蓑に使われてきた公算が高い。これまで「持続的開発」論が理想社会の目標であるかのように映ってきたのは、多くのNGOや「革新」勢力が事実上体制に統合されていたからだと言わないとしても、すくなくとも彼らが独立した思考力と誠意を欠いてきた所産と言えるだろう。その点で、「持続的開発論」者の大衆に対する責任は重い。


3.持続的開発の概念の意味論的吟味

 漢和辞典(2)をひもとくと、「発展」は①のび広がる ②栄える ③低い段階から高い段階に進む、と定義され、他方、「開発」は①封を切る、②知識を開く、③土地を切り開く、となっている。

 われわれは上の単語を確かめるため、それぞれを構成する各文字の原義にさかのぼって分析してみよう。まず、「発展」や「開発」の言葉を構成する「発」は①矢を射る、軍をつかわす、②生える、のびる、③あばく、などを意味する。「展」は①死者の衣をひろげて調べる、②のばす、③記録する、である。他方、「開発」の「開」は①門戸をあける、②封を切る、③土地を切り開く、④知能をひらきおこす、と定義される。

 他方、英語developは、①広げ開く、②発見する、③潜在した物を表に出す、④成長させる、である(3)。ここでは、日本語で言う「成長」「発展」「開発」がすべて同一視されている。ちなみに、developの原義が「封を切る」という意味であった点で、英語と漢和辞典の「開発」の原義とが同じであることを忘れてはならない。

 ところで、英語では「開発」も「発展」もおなじdevelopmentであるが、日本語や中国語では「発展」と「開発」が区別されていることは興味深い。現代でも、日本の新聞記事で「開発」というとき、建設業や不動産業者による「土地を切り開く」行為、さもなければ新製品の発明・製造・販売を指すことが圧倒的に多い。中国語辞典(4)では、「発展」と「開発」との区別はさらに明瞭で、前者は①開拓、発掘、②能力や技術の新展開、後者は①発達、②拡大、である(5)。

 日本では「持続的的開発論」者でさえも「発展」と「開発」との区別を踏襲していることは面白い。たとえば、彼らの多くは、「永続的発展」や「内発的発展」と言っても「永続的開発」「内発的開発」とは呼ばない。ここに日本語のデリカシーがまだ生きている。ところが、他の一部は英語のdevelopmentのまま「発展」と「開発」を同一視している(6)。別の持続的開発論者は、「開発」に以下のような拡大解釈さえ加えている。真言密教の用語から引っ張ってきて、「内なる仏性を明らかにする」という意味を「開発」に見いだしている。だが、それは宗教そのものであって社会的政策に耐える用語ではなかろう。

 「持続的開発」の拡大解釈の代表的な典型は、それを「貧困対策」とみなすブルントランド委員会の報告(7)にみられる。その理由に、彼らは「貧困は環境を悪化させる」という。けれども、世界のレベルで見ればそんな場合は稀である。むしろ、大局的に言ってGDPと汚染量とは比例しているのだ。その証拠に、地球温暖化対策を取り決めた京都議定書は、二酸化炭素発生量削減の義務をGDPの高い先進国に課したではないか。途上国の都会や工場地帯の大気や河川に比べて先進国のほうが美しく見えるのは、後者が排出対策に膨大な投資をかけているからである。先進国の達成したGDPからその公害防止投資額を差し引けば、そのGDPはもっと途上国に近づくだろう。

 つぎに、「持続」の原義を分析してみたい。日本語、中国語のそれは「保ち続ける」であり、英語sustainも同様に「保持する」ことである。この用語はじつは、天然林の「極相」にならったドイツの林学思想「保続的森林」から来ている。一定面積の天然林は太陽エネルギーを受ける量が一定であるから、そのまま経過すると必ず極相に至る。そこでは炭素同化作用による炭素の総蓄積量と呼吸作用による炭素消費量が拮抗して、森林のバイオマス総量の成長が止まる。だから、森林には「永続的成長」はありえない。しかし、個々に見れば、枯死する樹木があっても、その後に芽生え・生長を果たす樹木がある。だから、若い樹の生長を許すには老木の死亡が必要なのだ。それはバランスのとれた生態系の理想だ。ほんとは人間も同様ではないだろうか。

 保続的森林を経済学の用語に言いかえると、単純生産または定常状態を意味する。それはかつて経済学の理想であった。止まらない成長は生態的破滅にいたる途なのだから、「持続的経済」はあっても、「持続的成長」や「持続的開発」はありえないのである。

 まとめてみると、「発展」も「開発」も森や地域、伝統を外の力で荒々しくこじ開けることを意味する、きわめて工学的な用語である。他方、「持続」は自然や生物本来の営みが本来備えているバランスを維持するもので、本来的に「自由」を志向する言葉である。だとするなら、この相容れることの出来ない両概念をくっつけた「持続的開発論」者の暴力的センスには驚くほかない。


4.「持続的開発」から「地域自立」「協同」 へ

 近年「持続的農業」とか「持続的社会」という用語が増えてきている。それは「持続的開発(成長)」というのがどうも胡散臭い言葉だと気づいた人々によって使われ始めたようである。それは「持続的開発」にくらべれば無難だが、いかにして農業や社会を「持続させる」を説明する言葉を欠いている点で不十分である。

 以下の所感を要約して述べるにとどめよう。

 イ.経済主義に陥った「持続的開発」を卒業して、「持続性」に最重点をおくべきである。GDP総量の増加によって人類幸福を探るのは、もはや人類と多様な生物を守る途ではない。たとえば、現代日本のように過剰労働の横で失業者が増えていくのには、徹底したワークシェアリングで対処すべきである。貨幣的収入や労働の減少に直面したら、自給的調達つまり手作りの時間を増やすのがよい。

 ロ.途上国にたいしてモノとカネを援助するより、彼らの資源をカネで搾取することをいますぐストップすることを優先すべきである。一部のNGOで展開されているオルタナティブ・トレードにも限界を設けるべきであろう。

 ハ.「持続的開発」でめざしている内容で傾聴に値するものは、実は次の言葉に言い換えることができるのではないか。すなわち、自立・自給・協同労働・地産地消・祭・母語尊重・自衛・等身大の技術・地縁技術―これである。それぞれを具体的に追求していこうではないか。   (2006.2)


注1:大崎正治「持続的開発の理論と現実」『國學院大学』2005-2

注2:諸橋他編『廣漢和辞典』全4巻、大修館書店、1984;白川静『字統』平凡社、1984;同上『字通』同上、1996

注3:Concise Oxford English Dictionary, Oxford University Press,

注4:たとえば、大東文化大編『中国語大辞典』角川書店、1994

注5:ロシア語でも「発展」razvitiと「開発」ekliyatirobatiのあいだに、前者は①伸ばす、②成熟、後者は①搾取、②天然資源の開発の意味を持つ、という区別があるようである。『岩波ロシア語辞典』1982

注6:『開発経済学事典』弘文堂、2004;森岡他編『新社会学辞典』有斐閣、1993

注7:ブルントランド委員会『われらの未来』福武書店、1987

(『ATT』誌2006年3月、掲載)

Oosaki Speaks

経済人類学と環境経済学の総合を志して研究し、國學院大学でその分野の講義(「民族と経済」「環境と経済」「消費社会論」「ゼミ-森と水の経済学」)を担当していました。また、ATT流域研究所という市民の環境科学の運動に参加しています。 今、力を入れているのは、世界で流行中の「持続的開発」について厳しい検討をくわえることです。これからは「エコ・ツーリズム」についても検討してみたいと思っています。

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