小国寡民と共同体をふたたび考える

2019年4月27日開催 日本有機農業研究会主催「小農・家族農業」研究会  レジュメ 


Ⅰ. 老子第80章を読む  (『有機農業事典』三省堂出版、1985年初版、2000年2版、末尾)

 共同体とは家族や仲間とともに自然に働きかけて衣食住をつくり、祭りを主催して歌い踊る地域の空間と社会を指す。それは自給自足を旨とする。大﨑は共同体を「小国寡民」と呼びたい。


Ⅱ.共同体の諸形態を探る

 マルクスの唯物史観によれば、世界各地各時代の人間社会のしくみは生産関係や所有形態ひいては共同体、生産様式で表わされ、これが文化・意識を規定するとみた。

1.マルクスによる共同体の展開リストは以下のとおりである。

 イ. マルクス&エンゲルス 「ドイツ・イデオロギー」1845-6年執筆  ①部族所有→②古代的共同体所有および国家所有→③封建的または身分的関係→④市民社会

 ロ. マルクス 「資本制生産に先行する諸形態」1857年執筆  ①原始共同体→②アジアの総括的統一体→③ローマ人共同体→④ゲルマン的所有→⑤資本制生産

 ハ. マルクス 『経済学批判』「序言」1859年刊行  ①アジア的生産様式→②古典古代的生産様式→③封建的生産様式→④近代市民生産様式

 上のうち(イ)①部族所有は(ロ)の①と②を兼ねたもの、(ハ)の各々は(ロ)①原始共同体から変形・展開したものとみなせば、3つは大体同じ分類・配列とみてよいだろう。

また、文化人類学も以下に見るように、唯物史観と同じような基準(「生活様式」や生業)で人類の各文化を整理した。(①狩猟民族―②牧畜民族―③焼畑農耕民族、常畑農耕民族―④水田民族)(馬淵東一編『人類の生活』毎日新聞社、1956年;社会思想社、1978年)。

ここでは(ロ)の「先行する諸形態」に限って、各共同体の特徴を挙げておく。

①原始共同体―その基本的社会単位はもっとも単純で家族であった。生業は狩猟・漁労とほかの採集で、いつも移動していた。したがって、土地の所有も利用も共同であったが、すでに女性と男性の間で性的分業があった。

②アジアの総括的統一体―生業は牧畜と農業に発展して、人類はすでに定住を始めていた。社会構造も家族から広がって、複数の家族から成る部族社会に大きく複雑になった。土地はいまなお全面的に共有であるが、家屋と裏庭の畑は家族ごとに分かれて利用していた。共有地の一部では複数の家族とともに共同で農耕と放牧をやった。この所有形態は人類史上最も長くかつ世界でもっとも広い範囲で営まれてきた。この個々の部族共同体は自給自足をしてたがいに孤立していた。

 ところで、マルクスはこの共同体の孤立から彼らの上に立つ首長が必然的に登場して、ついに「東洋的専制🄱君主」が現れると述べた。【大﨑が調査したボントク族の村ではついに一度も首長をもたないまま近代国家に編入された。東南アジアの海洋民族はおおかたそうであった。東洋的専制君主をもった文化は世界四大文明を除いてはあまり存在しなかったと思う。したがって、この所有形態を「アジアの総括的統一体」と呼ぶのは大いに批判したい。】

③ローマ人共同体―この共同体は部族社会連合(貴族と平民)を形成してその定住地から都市国家を建設する一方、多数の奴隷を使って私有地で農園を経営した。けっきょく、この共同体の中で大きな国有地と私有地が対照的に存在していた。国有地は実際には上級貴族が簒奪して大量の奴隷に働かせた。自由民と平民は当初小規模農園を保有していたが、激しい階級格差の末、耕地も国家への参政権も失って、ルンペンプロレタリアートに転落して、皇帝から配給をもらって食べていた。いよいよ私有地は一部の貴族の手に集中した。下級貴族や自由民・平民はせいぜい海外出征する遠征軍に従って、運次第で侵略した土地の一部をもらうか大もうけをするだけであった。ローマ帝国の衰亡と共に彼らは滅びた。帝国の農業も工業も交易も衰えて、都市の人口は激減して、つぎに現れたゲルマン共同体が活躍するに都合の良い環境を作った。

【この部分でのマルクスの記述は抽象的で、へーゲル的弁証法を多用した空疎なおべんちゃらを弄して、適切とは思えない。ローマ人共同体はあまり共同体の名にふさわしくなく、かえって現代の腐敗した資本主義に似ているのではないかと思う。つまり、広い国有地は貴族たちが国民を排除して跳梁跋扈して、かたや私有地から奴隷を使った貴族の大規模な牧畜経営が生まれた。土地法学の上から言っても、ローマ法は私有財産制を過度に尊重した現代の法制度の元祖なのである。】

④ゲルマン的所有

広い森の間に散在して住みこんだゲルマン農民は家屋のほかに耕地を私有化して、自主的な小規模経営を大いに謳歌した。部族集団は巨大化していて、家族が形成した村落共同体を複数包含して一つの広範囲な自治組織ができた。村の共有地である森林、牧場、荒蕪地は農民にとって貴重な資源の源であるから村の利用ルールを厳格に守った。日本の近世に栄えた村(むら)に似た地域自治がかなり発達していた。

けれども、村や部族集団を超えた国家や地域行政のレベルでは、国王や貴族・高官そして教会の上級僧侶の間で領地がやり取りされ、税金や地代の負担が重なり、そのうえ頻繁に紛争や戦乱が打ち続いて農民はそのたびに被害と兵力動員の対象にされて疲弊した。

2.諸形態の展開パターン

上のリストの実際の展開パターンはいかなるものであったか? 後の図1「共同体の展開過程」でみるとおり、諸形態を単線の発展系列とみるか、複数系列の展開とみるか、マルクス関係者や研究者のあいだで二手に分かれていた。かつての多くのマルクス主義者は人類史を単線の発展系列とみた。マルクス自身は大まかには(彼の『経済学批判』「序言」でみるように)単線説を唱えるが、「先行する諸形態」では」いくつかの場面で多線的展開の事実や可能性を殴り書き的に書いている。【いずれにしても、一つの概念を表すのに彼は複数のテクニカルタームを使い、しかもその混乱に自らはまってしまうこともあり、のちのマルクス学者の間の混乱を生んだ張本人だと言って良い。私は人類学者として、図1のような複線型説に賛成したい。】

3.共同体の評価

 イ.マルクスやエンゲルス自身による共同体否定論

 〇(マルクスが19世紀半ばの中国・インドを指して)“村落が自給自足でお互い孤立して「局地的小宇宙的存在。だから東洋的専制政治をもたらす”という(先述)。【この論理は大崎には到底納得しがたい。この論理は1950年代まで日本のインテリの間ではやった言葉=「村の奴は長いものに巻かれる」に通ずる発想と思われる。】

〇(エンゲルスがインドを指して)「迷信、伝統の奴隷となって、人間精神からすべての雄大さや歴史的精力を奪った、、」

 

ロ. ところがのちに彼らは共同体に対してプラス評価に代えた

 とくに晩年には、上でみた要因が、こんどは反対に共同体称賛の理由になった! たとえば、

 〇零細農業と家内工業の結合によって自給自足を達して、海外からくる商品・資本を抑える防壁効果をもつという(「先行する諸形態」)

 〇「権力や政府が変わろうと村落は続く。」(マルクスのエンゲルス宛書簡)

 そして、ついに「ヴェラ・ザスーリチへの手紙(1881年3月8日)およびその「草稿」で、マルクスは本格的に共同体礼賛に変わった。

〇「原始的共同社会の生命力はセム人、ギリシア人、ローマ人の社会のそれよりも、まして近代資本主義の社会のそれよりも比較にならないほど大きかった。」

 〇「ヨーロッパの全中世をつうじて自由と人民生活の唯一の根原となっていた。」(同上)

 〇“他方、現在[当時―大﨑]ヨーロッパと合衆国に資本主義は危機に直面しています。近代社会が共同体に復帰するほかはない。」(同上)

〇とうとうマルクスは、“ロシアの共同体から資本主義を経ないで社会革命へ至る可能性を認めた”のである。(同上)

この「ヴエラ・ザスーリチへのマルクスの手紙と草稿」に対して、1970年代に日本の多くの研究者が同感・肯定の意をあらわしたという。

ハ.大塚久雄の『共同体の基礎理論』 初版1955年、岩波書店;2000年、第二版

 戦後日本の経済史学界を牛耳っていた大塚久雄は、経済史研究の文字通りのguideline(指針)としてマルクス「先行する諸形態」の解説版・祖述版を自ら作成した。彼のもう一つの動機は、戦後日本がいまだ後進的で近代化が必要であると考え、本書によって近代化の道筋を日本人に知らせたいという高度に実践的な姿勢から出ている。

 したがって、大塚自身は当時の日本にも残っている共同体を敵視しそれを解体することを志向していた。その背景には、西洋からくる資本主義は進歩的で必然であるという信念にあふれていた。だから、彼にとっては歴史発展論はとうぜん単線的系列であった。

 大塚にとって、ロシアの共同体がかえってロシアの社会革命にとって欠くべからざる宝だという発想はぜったいに認めがたいであろう。1980-90年代以後、ポストモダンが普及した中で共同体に対するあこがれや関心が高まった。その志向を表した著者に和田春樹、中村尚司などがいる。私もその一翼についていると思う。

ニ.小谷ひろ之によるマルクス批判 

(小谷ひろゆきは東京都立大の名誉教授で、インド史学者。共同体に関する著書に、『マルクスとアジア』、『共同体と近代』がある。)

彼は「アジア的生産様式」「アジア的共同体」が中国にもインドにもロシアにも存在していたというマルクスの主張を、マルクスが読んだ文献を使って否定した。したがって、彼は共同体を否定・拒否する側にも共同体の意義を信じて守ろうとする側にも冷淡である。

 しかし、小谷は低開発国や旧植民地において先進資本主義と接触したり繋がると寄生地主制が生まれることを批判した。つまり寄生地主制は近代的現象であるから、それは「アジア的共同体」でなくて「アジア的特殊性」と呼ぶべきだと提唱して、それと戦うことを提案する。

 これをどう見たらよいのだろうか。私は、アジアやアフリカ、南アメリカ諸国で、「アジア的共同体」と「アジア的特殊性」が併存する可能性もあるのではないかと思う。フィリピンの例をとって考えてみたい。

すなわち、フィリピン社会は実際には複層的で、多数民族の住む低地はスペイン、アメリカの支配を経験して、現代も大土地所有制の後遺症が続いている。カトリック教会を筆頭に大土地所有者がコリー・アキノ大統領(彼女自身大土地所有者であった)の土地改革以来、土地を分割して株式保有に資産形態を変えつつ、表面では大土地所有者の姿を隠しつつ、他方その分割した土地を握った新興寄生地主があいかわらずその土地と農民を支配している。他方、山岳地帯に住む先住民族は少数民族の地位におとされたが、かえって先祖伝来の共同体保有を守ってきた。今日ではそれは法制上も公認されている。このように、フィリピンでは「アジア的共同体」も「寄生地主制」も併存しているのである。

Oosaki Speaks

経済人類学と環境経済学の総合を志して研究し、國學院大学でその分野の講義(「民族と経済」「環境と経済」「消費社会論」「ゼミ-森と水の経済学」)を担当していました。また、ATT流域研究所という市民の環境科学の運動に参加しています。 今、力を入れているのは、世界で流行中の「持続的開発」について厳しい検討をくわえることです。これからは「エコ・ツーリズム」についても検討してみたいと思っています。

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