大崎 正治
JANJAN2008/04/27
フィリピンでは昨年から続くブロードバンド汚職(NBN-ZTE)疑惑をはじめ、権力者たちによる汚職問題が絶えない。こうした中、4月15日には「汚職摘発連合」(Coalition against Corruption:CAC)が結成された。2回のピープル・パワーで政治を動かしてきたフィリピン民主主義の新展開を期待したい。汚職問題をめぐる最近の動きを紹介する。
ブロードバンド汚職疑惑など、汚職問題が続くフィリピンで、4月15日に「汚職摘発連合」(Coalition against Corruption:CAC)が結成された。この組織の会長には元中央銀行総裁が就任し、多くの政党メンバーとともに、後述する「マカティ・ビジネス・クラブ」も参加している。
汚職はびこるフィリピン社会
昨年筆者は、「汚職まみれの植林援助事業:フィリピン少数民族の村で」と題した報告をJanJanで公表した(2007年2月6日)。その記事で、フィリピン先住民の自給の村にも開発と汚職が忍び寄っていること、それでも村の住民有志がマニラのオンブズマン(Ombudsman、公務員の汚職を審理・告発する機関)に告訴するだけの自立性を有していたことを紹介した。
しかし、訴状の受理から2年経った今も、オンブズマンはこの訴訟の審理を始めていない。なぜなのかと、村民と同様、私も不思議でならなかったが、最近、グロリア・アロヨ(Gloria Arroyo)大統領の新たな汚職疑惑を見て、少し理解できるように思えてきた。すなわち、先住民の小さな村の村長の汚職も、国家元首の汚職も同じ構造になっているのだ。
以下にこの大統領汚職をめぐって、いま沸騰しているフィリピンの情勢を紹介し、若干の論評を加えてみたい。
周知のように、去る2001年に前任の大統領ホセ・エストラーダ(Jose Estrada)が汚職スキャンダルで議会の弾劾裁判にかけられたが、デッドロックに突き当たった。これに市民が抗議して第2の「ピープルズパワー」を起こし、エストラーダを辞任に追い込んだ。その結果、副大統領であったアロヨが大統領に昇格した。その意味で、アロヨはたしかに人民の肩に乗って登場した大統領であった。その点で、彼女はアキノ大統領の成立経緯と似ていたとも言える。
だが類似はそこで終りであった。アロヨ大統領は、エストラーダやフェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)に勝るとも劣らない巨大汚職と、マルコスに劣らない人権抑圧の巣を形成したことで、すでに国際的にも悪評が高い。なにしろ、彼女の下では、軍・警察は無論のこと、選挙管理委員会や経済官庁、環境省のトップ、さらには法務省(検察庁)やオンブズマンも自己の本務を忘れ、大統領に忠実な犬と化している。あまつさえ、後述のように最高裁判所も、議会の証言を拒否できる大統領特権を、上院の決定より重視する始末なのである。
新たな巨大汚職
昨年4月、フィリピン政府は「国立ブロードバンド・ネットワーク」(略称NBN)が全国の政府地方機関や自治体をつなぐ情報通信システムを、3億2,900万ドルで中国の国営ブロードバンド会社ZTE社から購入することを契約した。アロヨ大統領は中国を訪問したとき、この契約がサインされる現場に立ち会っていたという。
この契約の成立で受け取った1億3,000万ドルのリベートを、大統領と彼女の夫ホセ・アロヨ(Jose Aroyo)および企画に与った高官たち(とりわけ中央選挙管理委員会委員長ベンジャミン・アバロス(Benjamin Abalos)、全国経済開発庁(NEDA)長官ロムロ・ネリ(Romulo Neri)、環境・天然資源省(DENR)長官ホセ・アティエンサ(Jose Atienza)の間で配分したという。このNBNをめぐる巨大汚職疑惑の糾明を開始した上院の同年9月の公聴会で、ネリ自身がこれを証言した。
彼によると、昨年4月に、ネリがアバロスから2億ペソのワイロの申し出を受けたことを大統領に伝えた後も、彼女はこの契約成立を追求した。NBNの企画は、もともと2億6,600万ドルの事業であったが、上記のリベート分を上乗せして水増しされたという。
大統領はネリが上院で証言した直後にこの契約を破棄し、彼女のグループのメンバーはいっせいに「リベートなど受け取らなかった」と宣言した。しかし、フィリピンで彼らを信用するものは誰もいなかった。 その後、上院からより詳しい証言を何度も求められたにもかかわらず、ネリは大統領が発布した行政令464号(Executive Order 464)にいう「政府高官は大統領の許可がない限り議会証言を免れる」という規程を楯に証言を拒みつづけてきた。それに対し最高裁は去る3月25日、ネリの証言拒否を容認する決定を下した! ネリはNEDA長官から高等教育委員会議長に降格されたが……。
治安機関による証言妨害
このNBNの企画に参加していたロドルフォ・ロサダ(Rodolfo Lozada)氏に上院が証言を求めた昨年11月に入って、この事件は劇的な展開を示しはじめた。ロサダ氏はもともと電子工学のエンジニアで、環境天然資源省(DENR)の傘下であるフィリピン森林会社の社長であったが、友人であるネリ(当時NEDA長官)に招かれ、問題のNBNのコンサルタントになった。そこで、ネリから問題のワイロに協力するよう頼まれた。
ロサダ氏は11月に上院から召喚されたとき、それを逃れる相談をするため、ネリとともに2人の上院議員と会っていた。この過程でロサダ氏は強い苦悩と動揺を重ねていたに違いない。いったんは、彼は香港経由で西洋に逃げろというネリとアティエンサの計画に乗り、2月はじめ香港に飛んだ。けれども、香港にいる間についに上院で証言する決意を固め、5日にマニラ国際空港に降り立った。これを察知したネリやアティエンサらは、私服の軍隊を使って有無を言わせずロサダ氏を空港から連行し、行く先を告げずクルマに乗せてラグーナ州のあたりを引き回させた。 ロサダ氏の証言によると、彼を連行した連中は私服で名前を明かさなかったが、その髪型はみな軍人刈りだった。彼らから「お前の家族や子どもの居場所はわかっているのだぞ」と脅されて、ロサダ氏は生命の危険を強く感じたと言う。ロサダ氏を連行中に彼らは絶えず電話でどこかと連絡をして、「おれたちはあの“マダム”や“ES”と相談しているんだ」とうそぶいていた。
後にロサダ氏は、“マダム”とはアロヨ大統領本人を指し、“ES”とは官房長官(Executive Secretary)エドゥアルド・エルミタ(Eduarudo Ermita)を指すと証言している。この拉致の間、彼らは「あの情報システムやワイロについて何も知らない」、「これは誘拐ではない」という文書にサインしろとロサダ氏を脅迫した。
けれども、帰国したはずのロサダ氏が行方不明になったのを追及し始めたマスコミの圧力に負けて、ついに政府は拉致者に命じ、夜になってから彼を自宅に近い場所で釈放させた。そのうえで、エルミタ官房長官をはじめ、国家警察PNPと軍部の最高幹部は、誰がロサダ氏を連行したのかについて前後撞着した回答を繰り返していたが、ウソが通らなくなったとみるや、PNP長官アヴェリーノ・ラソン(Avelino Lazon)は、ロサダ氏の家族からの保護要請を受けて、彼をエスコートしただけだと言い訳した。これこそ、自ら誘拐犯であったことを自白したに等しい。
ロサダ氏はこの脅迫に負けず、上院で10時間にわたって証言を行い、フィリピン中に衝撃と憤激を引き起こした。それからロサダ氏に対し脅迫電話が繰り返され、さらに検察庁(Bureau of Investigation)が「NBN汚職事件の捜査」を理由に、彼の会社の執務室を急襲して、彼の文書をすべて押収して行った。
「ピープル・パワー」の再来か
これを機に、ロサダ氏の勇気を称え、アロヨ大統領に退陣を要求する声が全国で沸騰した。法曹協会がアロヨ辞職を求め、2月15日のデモに参加する声明を出した。昨年アロヨ大統領の家族の圧力で解任されたホセ・ド・ヴェネシア(Jose de Venecia)前下院議長と、その息子でNBN汚職をはじめて暴露したホセ・ド・ヴェネシア3世(Jose de Venecia III)、そしてホヴィート・サロンガ(Jovito Salonga)前上院議長、そしてマヌエル・ヴィリァール(Manuel Villar)現上院議長の夫人が、ネリの上院証言とアロヨ大統領の辞任を要求した。
注目すべきは、フィリピンの大企業の社長・取締役から成る「マカティ・ビジネス・クラブ」(Makati Business Club)も大統領とネリ、アティエンサの辞職を要求したことである。このクラブは、自分たちの企業の社員がこのデモに参加することさえ認めた。
さらに閣僚経験者60人がロサダ氏へ支持を発表した。ロサダ氏誘拐に与ったPNP長官ラソンに対し、彼の軍士官学校時代の同期生たちが引退を勧告した。さらには、去る2003年、アロヨ大統領に不満を表明してクーデターを起こして有名になり獄中から選挙に立候補して当選した後、さらに昨年11月、裁判中に法廷から退場してマカティのホテルに6時間立てこもって反乱未遂を繰り返したアントニオ・トリリャネス(Antonio Trillanes)上院議員(当時、海軍大尉)と、彼と行動を共にしたダニーロ・リム(Danilo Lim)陸軍准将や数十人の兵士たちも、監獄からロサダ氏を支持する共同声明を出した。国立フィリピン大学の教授連と評議会もアロヨとネリの辞職を要求し、デモに参加すると発表した。ネリはこの大学の理事長でもあるので、とりわけフィリピン大学で批判が激しく、同大学の学部教授会スタッフや学生らはネリの大学理事長辞任を求めている。 首都メトロ・マニラの金融街、マカティ・シティ(Makati City)で行われた集会に参加した、フィリピン森林公社の長であったロドルフォ・ロサダ(Rodolfo Lozada)氏(2月29日)。集会では約1万人が、アロヨ大統領の辞任を求めた。アナリストによると、集会に参加した人数は、予想外に多かったという。(ロイター/アフロ)
2月15日のデモにはコラソン・アキノ(Corazon Aquino)元大統領、エストラーダ前大統領、マカティ市長も参加した。ラモス元大統領は当初アロヨを支持していたが、のちにデモの意義を認めた。2月の間、全国の教会と大学・中学で、大統領やネリたち政府高官がロサダ氏に続いて真実を証言するよう求めて祈る「真理を求めるミサ」が展開され、ロサダ氏は各地のミサや学校に出かけて彼らに語り呼応した。アロヨ政権はまさに風前の灯と同じに見えた。その頂点が同月29日のデモと大集会であった。例のごとくマカティ市のオフィス街の目抜き通りでアロヨ退陣を求めて、行進と大集会が10万人に近い人数を集めて開かれた。これを見て、誰しも「第3のピープル・パワー」の到来を期待したことだろう。
だがそうはならなかった。かつてエストラーダを打倒した第2ピープル・パワーのデモと集会・座り込みでは優に100万人が参加していたのだ。今度の10万人の数を切れる集会参加者ではそれの再来を期待するのが無理だったのかもしれない。
その一つの要因は教会側の政治への介入を回避する姿勢にあったとみられている。1986年当時、独裁者マルコスを大統領から引きずり下ろした第1ピープル・パワーを直接演出したのはシン枢機卿に率いられたカトリック教会であったが、彼が死去した今の教会の上層集団は、一方でロサダ氏を誉めたたえ、政府高官の証言を免除するさきのEO464号を撤回するよう大統領に要請しつつも、他方、アロヨ大統領の退陣を求めることも、集会デモへの参加を呼びかけることも徹底的に控えた。とくに、マニラとその周辺の教区の司教たちは連名で全信者にあてて書簡を出して、地区のすべての教会で読ませた。そこでは、アロヨ政権の腐敗を非難しつつも、大統領の辞任を迫るのは間違いだとさえ説教していた。他方で、各地の教会関係者、とくに修道女集団が、(身を隠して各地を転々と移動せねばならない)ロサダ氏を自発的に軍・警察やその手先から匿い保護し続けた。
ロサダ氏は教会トップのこの消極性に不満を隠さず批判したため、一時教会の上層部から叱責を受けた。大半のジャーナリストも、教会が悪政と闘う姿勢に消極的になったのはなぜかと批判した。たとえば「彼らはいまや精神的・モラル的に劣等生になった」(『フィリピン・インクヮイアラー』紙社説)とさえ書いた。 このような教会の政治参加後退現象について、別の観点から分析したものがある(フィリピン大学社会科学部教授兼『フィリピン・デイリー・インクヮイアラー』(Philippine Daily Inquirer)紙コラムニストであるランドルフ・ダヴィド〔Randolf David〕氏)。それを筆者なりに紹介してみよう。
「20年前独裁者マルコスを打倒したときに教会が大きな役割を果たしたが、それは実際には市民社会の未熟性を反映したものであった。今もかわらずそれに期待をかけるのは、腐敗の極致に至った議会制度と官僚制度を変革するために、軍部クーデターに期待するのと同じではないか。教会も善良な軍部も、いずれも民衆を子どものように扱う点では等しい。あれ以後中間階級が発達した現在のフィリピンには、それはふさわしくない。たとえ長い時間がかかろうとも、民衆の政治的自覚の向上と彼らの自主的な組織化をはかっていくべきだ。民衆の怒りから来る政治的アクションのほうが、僧侶の指示を待つより長持ちするはずである」
たしかに、この説には従来のピープル・パワー、ひいてはフィリピン民主主義の限界と積極性を見抜いた卓見がうかがえる。フィリピンの民衆は、2回のピープル・パワーを経験してたしかに成熟をとげたと思う。教会や元映画スター、ひいては時代遅れの都市ゲリラ活動を繰り返す共産党(やNPA)への幻想が冷めたので、表面上集会やデモへの参加に熱中しなくなった。
けれども、自主性を発揮した民衆の動きは確実に広がりを増しつつある。辺境では昨年紹介したように、先住民による村長告発があったし、冒頭でも紹介したように、首都でもつい先日の4月15日に「汚職摘発連合」(Coalition against Corruption: CAC)が結成された。その会長には元中央銀行総裁が就任し、多くの政党メンバーとともに、前述した「マカティ・ビジネス・クラブ」も参加している。今後の展開に期待したい。
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